貼雑歩録 Ver.2.0

日々の情報から拡散する好奇心と、思考の断片をスクラップブックのように書き留める試み。

北村太郎北村太郎の仕事1 全詩』(思潮社
最後の詩集が入ってないので厳密には全詩ではない、と聞いたことがあるが、永久保存版といっても良い良書。北村太郎に関する画像が見つからず。なので画像無し。と思ったけど荒地詩集の画像発見。ISBN:4783722900

朝の鏡

 

 

 

 

朝の水が一滴、ほそい剃刀の

刃のうえに光って、落ちる――それが

一生というものか。不思議だ。

なぜ、ぼくは生きていられるのか。曇り日の

海を一日中、見つめているような

眼をして、人生の半ばを過ぎた。

 

 

 

「一個の死体となること、それは

常に生けるイマージュであるべきだ。

ひどい死にざまを勘定に入れて、

迫りくる時を待ちかまえていること」

かつて、それが僕の慰めであった。

おお、なんとウェファースを噛むような

 

 

 

考え! おごりと空しさ! ぼくの

小帝国はほろびた。だが、だれも

ぼくを罰しはしなかった。まったくぼくが

まちがっていたのに。アフリカの

すさまじい景色が、強い光りのなかに

白々と、ひろがっていた。そして

 

 

 

まだ、同じながめを窓に見る。(おはよう

女よ、くちなしの匂いよ)積極的な人生観も

シガーの灰の様に無力だ。おはよう

臨終の悪臭よ、よく働く陽気な男たちよ。

ぼくは歯をみがき、ていねいに石鹸で

手を荒い、鏡をのぞきこむ。

 

 

 

朝の水が一滴、ほそい剃刀の

刃のうえに光って、落ちる――それが

一生というものか。残酷だ。

なぜ、僕は生きていられるのか。嵐の

海を一日中、見つめているような

眼をして、人生の半ばを過ぎた。