貼雑歩録 Ver.2.0

日々の情報から拡散する好奇心と、思考の断片をスクラップブックのように書き留める試み。

澁澤龍彦澁澤龍彦全集16 幻想博物誌・悪魔の中世・玩物草紙 ほか』(河出書房新社
仕事とまったく関係のない本が読みたくてたまらなくなったので、久しぶりに澁澤龍彦全集を紐解く。究極的には何を読んでも、何をやってもすべて仕事に通じてきてしまうのが編集者という商売の因果な所なのだけれど、なるべくファッションとかとは遠ざかった直接的に役に立つ訳では無さそうなものに触れる事は脳味噌のリフレッシュになる。仕事とか、何かの役に立つ、とか意識して何かをやろうとすると次第に脳味噌に澱が溜まってくる感じがしてよろしくない。やっぱ自分にとってはな~んの役に立ちそうにも無い読書が究極の娯楽なのかも。「幻想博物誌」ではギリシャのスフィンクスとエジプトのスフィンクスが違う事を知って嬉しくなってしまった。エジプトのスフィンクスは男性の頭に獅子の胴体。有名なエジプトのスフィンクスは顔は王様(第四王朝の王、カフラー)を模したものとされていて、なんで胴体が獅子なのかって言うと獅子が王権の象徴だから。対するギリシャのスフィンクスは前脚を立てて、胸を張って座っている雌の獅子。上半身は美しい女の顔で胸には2つの乳房。オイディプス王の話に出てくるスフィンクスはエジプトの有名なスフィンクスではなく、こちらの女スフィンクスなのです。

遊びのなかで、メタモルフォーズするのは対象物ではなく、つねに主体にほかならないからだ。対象物はメタモルフォーズのための手段、付属物、あるいは口実にすぎない。当たり前の話であるが、紙で作った兜をかぶったからといって、その紙の兜が金属の兜に変化する訳ではなく、ただ私たちが戦国時代の武士になるだけなのである。だから極端に言えば、想像力による演出さえ完全に行われるならば、対象物は何でもいいのだ。

 

「玩具のための玩具」より

 

悪魔の中世 (河出文庫) 玩物草紙 (中公文庫) 幻想博物誌 (新編 ビブリオテカ渋沢龍彦)