貼雑歩録 Ver.2.0

日々の情報から拡散する好奇心と、思考の断片をスクラップブックのように書き留める試み。

チャールズ・ディケンズ『デヴィッド・コパフィールド 5』(岩波文庫
ついに読了。波瀾万丈小説も大団円。まぁよく考えるな、とは思う。荒涼館よりはグチャグチャしてなかった。やはり小学校高学年~中学くらいで出会うと楽しいだろうな。
西脇順三郎西脇順三郎詩集』
西脇順三郎は本当に素晴らしい。慶應の英文科の教授だったと言うのだから当時の学生が羨ましくてならない。『旅人かへらず』はいつか古本屋で購入しなければなるまい。衝撃的名作。本当に素晴らしい。また、本書では西脇順三郎の詩論も非常に興味深かった。詩とは「部分的にかすかに爆発を起させて、その力で可憐なる小さい水車をまわすのである。」

九月の始め

街道の岩片から

青いどんぐりのさがる

 

 

窓の淋しき

中から人の声がする

人間の話す音の淋しき

「だんな このたびは 金比羅詣り

に出かけるてえことだが

これはつまんねーものだがせんべつだ

とつてくんねー」

 

 

「もはや詩が書けない

詩のないところに詩がある

うつつの断片のみ詩となる

うつつは淋しい

淋しく感ずるが故に我あり

淋しみは存在の根本

淋しみは美の本願なり

美は永劫の象徴

 

 

詩集『旅人かえらず』より抜粋「39」

 

 一定の関係のもとに定まれる経験の世界である人生の関係の組織を切断したり、位置を転換したり、また関係を構成している要素の或るものを取り去ったり、また新しい要素を加えることによって、この経験の世界に一大変化を与えるのである。その時は人生の経験の世界が破壊されることになる。丁度原子爆弾の如く関係の組織が破壊される。

 

 

 詩の方法はこの破壊力乃至爆発力を利用するのである。この爆発力をそのまま使用したときは人生の経験の世界はひどく破壊されてしまって、人生の破滅となる。

 

 

 しかし詩の方法としてはその爆発力を応用して、即ちかすかに部分的にかすかに爆発を起させて、その力で可憐なる小さい水車をまわすのである。

 

 

「詩情」より抜粋