貼雑歩録 Ver.2.0

日々の情報から拡散する好奇心と、思考の断片をスクラップブックのように書き留める試み。

鮎川信夫鮎川信夫詩集』(思潮社
北村太郎は相当ほめていたので読んでみた。そこまで強烈にはこなかったがでも良い。もっと読みたい。とりあえず、有名なのを引用。

死んだ男

 

 

 

 

たとえば霧や

あらゆる階段の跫音のなかから、

遺言執行人が、ぼんやりと姿を現す。

――これがすべての始まりである。

 

 

遠い昨日……

ぼくらは暗い酒場の椅子のうえで、

ゆがんだ顔をもてあましたり

手紙の封筒を裏返すようなことがあった。

「実際は、影も、形もない?」

――死にそこなってみれば、たしかにそのとおりであった。

 

 

Mよ、昨日のひややかな青空が

剃刀の刃にいつまでも残っているね。

だがぼくは、何時何処で

君を見失ったのか忘れてしまったよ。

短かった黄金時代――

活字の置き換えや神様ごっこ――

「それがぼくたちの古い処方箋だった」と呟いて……

 

 

いつも季節は秋だった、昨日も今日も、

「淋しさの中に落葉がふる」

その声は人影へ、そして街へ、

黒い鉛の道を歩みつづけてきたのだった。

 

 

埋葬の日は、言葉もなく、

立会う者もなかった、

憤激も、悲哀も、不平の柔弱な椅子もなかった。

空にむかって眼をあげ

きみはただ重たい靴のなかに足をつっこんで静かに横たわったのだ。

「さよなら、太陽も海も信ずるに足りない」

Mよ、地下に眠るMよ、

きみの胸の傷口は今でもまだ痛むか。