貼雑歩録 Ver.2.0

日々の情報から拡散する好奇心と、思考の断片をスクラップブックのように書き留める試み。

村上春樹アフターダーク』(講談社)
字がデカイ。まず、それが気になる。普段本を読まない人にも読んで欲しいと言う思いの現れなのだろうか。にしても、やっぱりちょっと不格好だし、違和感を感じる。過去の作品も文字を大きくした新レイアウトで刊行する予定らしい。個人的好みとしては嫌だけど、1人でも読者が多くなる可能性があるなら妥協するべきなんだろうな。村上春樹の魅力ってなんだろう、と思いながら読んでいたのだけれど、やっぱり会話の妙、かね。会話に散見されるそれっぽい台詞が効くのかなぁ。それと1文が短くまとめられてるのは読みやすさを意識してるんだろうか。時々テンポ良く、リズミカルな文体に感じられる事もあるけれど、情景描写となると退屈。こんな事を言うのもおこがましいけど文章力がある、という気はしなかった。そう言えば茂木健一郎アフターダークを好意的に評して次の様に書いていた。

アフターダーク」は、私にとっては、村上の美質がピュアな形で提示されていて良かった。

 村上の美質とは、情報とか観念の空間を、グーグルなどという陳腐なリンク、検索エンジンなどとは遠く離れたところで構想しているところだ。

 この現実の空間のつながり、ひろがりとは異なる、精神の世界のつながり、ひろがりの錬金術的メタモルフォーゼをピュアな形で提示する。『羊をめぐる冒険』『ねじまき鳥クロニクル』『国境の南、太陽の西』どの作品も、ネットなどという陳腐なメタファーから遠く離れたところで、イメージのダイナミクスを提示している。

 サイバーだとか、ネットワークだとか踊っているやつらは、散文的な世界に住まうことはできても、本当の意味での詩的世界には到達できない。

「精神のつながり、ひろがり」てのを提示してるのはわかるんだけど、それが詩的世界なのかは良くわからん。正直あまりポエジーは感じない。良い詩を読んだ時に不意打ちの様にガツンとくる言葉の喚起力、と言うものがポエジーなのかどうかと言う問題はあるけれど、そういうものがあるのは確かで、一方村上春樹を読んでいてそういう事を感じることはあんまりない。結局その精神のつながりってやつも薄っぺらく感じてしまう。が、まぁ自分の好き嫌いの話よりもこれが売れてる事実となんで売れてるか、に向き合う必要があるんだよなぁ。まぁ焦っても答えはでないだろうからのんびり考えよう。こういう事考えてると、とりあえず自分は「文章」それ自体に随分関心を持っている事がわかる。小説は言葉でできている訳で、言葉それ自体にもっと関心を払っても良いんじゃないかなぁ、と思う今日この頃。

 

アフターダーク