2005-02-01 ■ 読 山口瞳『わたしの読書作法』(河出書房新社) エッセイは面白いが書評はそんなに面白くないかも。でも乱読な所や以下に引用したような感覚には共感。 どうやら、私は、小説において、ストーリーや時代の背景や、人物の設置や解釈を読むのではなくて、言葉や文章からはいってゆくという質であるらしい。 (中略) 乃木希典が内庭を通って寝所に行こうとする。そのときに、野木の長靴によって内庭の玉砂利が鳴るのである。 その音が私にはっきりときこえた。玉砂利の音がきこえるというのが、私にとって小説なのである。という言い方も妙であるかもしれないが、そうでない小説は、私にとって小説ではない。 「解説ー新潮日本文学全集60・司馬遼太郎」より p.174-175